2013年4月15日月曜日

映画「クラウド アトラス」を観てなぜか号泣

今日はウォシャウスキー姉弟とトム・ティクヴァの共同監督映画「クラウド アトラス」を観てきました。(日記風の書き出し)


噂通りの複雑な映画(※私にとっては)で、開始10分で「今日疲れてるし、メンタルもかなり不健康だから集中できないし・・・英語も字幕も頭に入ってこない・・・これが160分以上続くとか無理かも・・・」と不安になる出だし。6つの時代がまるでコラージュの様に次々と現れては消え、未完成なトレーラーを観てる気分でした。噂では「絶対に原作読んで観た方がわかりやすい!」らしいのですが・・・映画のために小説を700ページも読む気はしないので当然予習なし・・・正直この時点では、別の映画にしとけばよかったとちょっと後悔。

でも、どのあたりからか・・・少なくともソンミ編でコリアンに扮したジム・スタージェスが出てくる頃(ラブストーリーが始まるところ)にはグイグイ引きこまれてて、最終的には3時間近くに及ぶ長さを全く感じさせないテンポとストーリー運びに感心しました。親愛なるジェーン・スーさん風に言うなら「ウォシャウスキー姉弟やりおるねん」(※トム・ティクヴァも)。私は鈍いので、ようやくそのあたりから「なーんだ、この映画って常に同じタイミングで同じことが違った形で表現されてるだけだから、わざわざ無理してバラバラにストーリー受け止めなくても、一気に受け止めてよかったんだ!?実はすごく親切!!」と気づきましたが、私みたいに鈍くない人は最初からストーリーに引き込まれるんじゃないかな?

6つのストーリーをそれぞれ見ていくと、原作はわかりませんが全体的にレイ編、キャベンディッシュ編はちょっと薄っぺらく感じて、フロビッシャー編は撮ろうと思えばもっと思い切って頽廃的に撮れるんじゃ?って個人的には思いながら観てました。シックススミスがフロビッシャーと同じ形で死ぬところなんて見せ場だと思うんですが、そのわりにアッサリしすぎだし・・・。

それと比べるとユーイング編、ソンミ編、ザックリー編はそれぞれ厚みがあって、完全にやられました。号泣です。特にソンミ編の「死は扉」からユーイング編の扉が開いて2人が抱き合う演出なんて涙止まらなかったし、ラストのザックリー編でトム・ハンクスの「私に訪れた奇跡」っていうセリフにまた号泣・・・本来あまり泣くような映画ではないかもしれませんが、例えば旦那さんとか奥さんとか「運命の人」だと思える人がいて、来世もそのひとと一緒にいたいなって心から思うんだったらかなり泣けるんじゃないでしょうか。

役者さんもみんな素敵でした。もちろんトム・ハンクスもハル・ベリーも素敵ですが、特に特殊メイクでコリアンに扮したジム・スタージェスが個人的にはツボすぎました。私は韓流ドラマとか全然興味ないんですが、もしこんな韓流スターがいたら絶対ファンになっちゃうでしょうね!あと、ソンミ編で脇役に美人な周迅がいるから(もう40歳近いですが・・・)、ヒロインのペ・ドゥナがちょっと見劣りするかなあ・・・と思ってましたが、話が進むにつれてあの子供っぽい顔が(もう30代半ばみたいですが・・・)儚げに見えてきて悪くないと感じました。

ただし、この映画に対して「同じ俳優が演じる人物=輪廻」とか「魂の成長」とか書いてる評があるみたいですが、それは間違いなくデタラメでしょうね(笑)原作を読んでないから確定的なことは言えませんが、輪廻をわりと明示しているのは彗星のアザがある人達だけで(これらは時代時代で違う俳優さんが演じています)、他はどちらかというとサービス精神で配役していて、深い意味なんてないんじゃないかな・・・

しかも「彗星のアザ=輪廻」についても演出上の揺らぎが多く見られ、少なくとも映画ではほとんどこだわってない様に感じました(二度目以降観ればまた印象が変わるかもしれませんが・・・)。特にどうやっても男女関係だけは逆転しちゃうので(上に書いたのソンミ編→ユーイング編の扉の演出もアッサリ関係性が逆転します)、観る方も「彗星のアザ」は「同じ世界の違う時代で同じモチーフが繰り返される」のを強調するためだけの小道具と割り切った方が楽しめるんじゃないかな?と感じました。